平成30年度 別府公民館手枕カレッジ(高齢者大学)

11月8

 地域・歴史講座
「播磨の山城から見た歴史」

25城の復元図から歴史を見る~

講師 中世城郭研究家 木内(きうち) 内則(ただのり) 先生   

 

講師は、主に播磨地方の山城跡について直接現地に赴き、メジャーで測量の上270カ城の想像復原図(鳥瞰図)を作成、各地で展示会や講座・講演会を開催しておられます。

①代表的構造の中道子山城 

志方町の城山の尾根に有った寺院を利用して築かれた山城。要所を土塁で囲み、尾根筋に幅・深さ6m~7m切り込んだ堀切を有し、後方からの攻撃に備えるという城郭の構造です。殆どの播磨の城はこの構造を主体として出来ています。

中世播磨の約400カ城は殆どが寺院の一部が城であった事が判明しています。

②古代城山城

約1400年前に竜野市新宮町に築かれた朝鮮式山城で有り、現地は山の頂上にあり、門跡が現存しています。約3m角の巨石が門構えを支えていたと思われます。

この時代に建立された建造物は1150年前の山崎断層大地震で全てが破壊しました。

③戦国時代

室町時代(約700年前)に入り、寺院の衰退と共に武士が勢いを増して寺院と共有の城が多く建立され、播磨の国にも最大規模の置塩城を中心に約400の城が出来ています。

山岳寺院を城とした光明山城

『峰相記』が記された峰相山鶏足寺

御津町『風待ちの湊』を一望できる室山城

南北朝の武将赤松円心が築いた白旗城

足利義教が暗殺された事で始まった激戦の中世城山城

感謝状が命名の由来で総石垣の感状山城

総土塁の中道子山城

加西市北条町に有った小谷城

防御用畝上堅堀(40ヵ所)が有る恒屋城

播磨最大の山城置塩城・等が建立され消失していきました。

④まとめ

戦国時代の播磨地方に約400カ城も有ったことを改めて知ることが出来、築城しては焼失や崩壊していった歴史、
残った城址、切なくもロマンのあるお話しでした



司会者


謝辞


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11月22

 介護・認知症講座

「最後まで“きらっと”輝いて生きる」
~認知症の人を支えて~

講師 医療社団法人 西村医院 地域包括ケア担当              
 
グループホームにしむら 前ホーム長 梅谷(うめたに) 公子(きみこ) 先生


1. 最後まで輝いて生きるとはどういうことでしょうか。

自分はどう死を迎えるか、どう生ききるかの意思決定が出来、最期を迎えるまで心身両面で苦しむことなく生きる事です。

2. グループホームにしむらで輝いて生きた入所者の方々。

元結納屋さん。お茶を飲みつつ眠る様に最期を迎えた
   タコ焼きを造るのが趣味で105歳で亡くなられた
   105歳と98歳のコンビ

編み物が好きで華道は未生流のいつもニコニコ
   失明しているが手探りでマフラーを編んだ
   毎朝お天道様に手を合わせる105歳

河内男節が好きで輝いていた
   ミヨちゃん105歳で眠るように亡くなる一週間前の様子


3. 死期を迎えた人への延命治療の愚

水分も食物も要らないのに点滴(水分)、鼻から栄養、胃ろう、酸素吸入等は死ねる時に死ぬことが出来ず、苦しみつつ「ベッドの上で溺れ死ぬ」状態を引き起こします。

この様な延命治療を行わず、自然に任せて酸素と水分の低下から、楽に穏やかに呼吸が疎らになって死を迎えると、結果最後まで輝いて生きたこととなります。

4. Aさん(80歳)の輝ける終末

食道がんのため抗がん剤と放射線治療を受け、2日後に入院を控えていましたが、80歳で青春が始まるとして、ガンジーの唄を朗々と大声量で歌いました。

検査漬けで死にたくないと治療を拒否して、歌と諸々の事にチャレンジするために生きる事とし、「八十路の青春」を謳歌しました。これぞ輝ける終末と言えるでしょう。

5.スライドによる認知症の諸問題とケア


6.まとめ

人生の終末にピンピンコロリはあり得ないとの事。如何に苦しむことなく輝いたまま最期の時を迎えるかを深く考えさせられる講座でした。



司会


謝辞


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